SSブログ

長良川川霧

「岐阜」と言う名前は織田信長の命名となっているが、古くから岐府、岐陽、岐山、岐下と言う地名があり岐阜と言う名が信長以前にもあったという記録がある。
Widipediaによると、これらの地名の中から、「岐山」(殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた山とされ、周の文王はこの山で立ち上がり、八百年の太平の基を築いた)の「岐」と、「曲阜」(学問の祖、孔子の生誕の地)の「阜」を合わせ持つ「岐阜」を選定し、政秀寺の僧侶であった沢彦宗恩が織田信長の命により、太平と学問の地であれとの意味を込めて正式に命名したといった説があり、この二説が通説とされている。
地形の大きな変化はあまり考えられないので、岐阜というのは山筋か川筋があり、岡があるところという意味になる。岐阜県には三川といわれる三大河川がある。西から揖斐川、長良川、木曽川である。源流の山は能都白山、白山、御岳、であるが、木曽川は平地で飛騨川と合流しているので、正確には木曽川の代わりに飛騨川というべきかも知れない。川筋には道路がある。国道157、156、41号線がそれぞれ通っている。どの河川も山が深いので清流をなしている。
梅雨の時期には雪解けの水と合わさり、河川は温度の低い水の流れとなる。前線の湿度の高い気体が川に流れ込むとそこで川霧が発生する。特に湿度の高い朝に見られることが多い。
RIMG0057.jpg

道の駅なぎさ [歴史]

なぎさ

 飛騨の山の中にというJRの駅があります。もちろんどこにも海は見当たりません。駅は高山本線の飛騨小坂と久々野(くぐの)の間の無人駅です。駅の位置は飛騨川と国道41号線(益田街道)にはさまれた狭い場所です。駅周辺の民家は少ないのですが、古き良き時代の匂いがあります。

 この駅に興味を持ったのは、山の中に渚という名前があることと、国鉄時代に文化を運んだ生き証人を見るように感じる環境があるからです。北に高山、南に下呂という観光地がありますが、その間であるは観光と縁遠い状態で、昔のままで保存されています。

 さて、渚について調べて見ますと(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9A)、「なぎさ」という漢字は渚・汀・沚と書かれますが、多くは海岸の水際をいったものです。ところが、内陸部でも「なぎさ」という言葉が使われています。それは「湖」の渚の意味です。例えば松本市の渚琵琶湖のなぎさ公園枚方市の渚があります。飛騨のには川しかありません。推測するに、古くは蛇行した川が湖を作っていたのでしょう。それほどまでして、海に因んだ名前をつけるということを不思議に思われますが、内陸部の人にとっては、山で閉ざされた地域に住んでいるわけですから、海への憧れがどこかにあるとも考えられます。そこで、手近な湖の岸を渚といったのでしょう。この表現に魅力を覚えます。当たり前のことですが、飛騨、信州、上州の文化はゆっくりとした熟成されてきたのでしょう。それに対して、往来の激しい海上交通地域の文化は交流が盛んなため動物的に変化します。飛騨の文化は重厚で植物的です。その地は古くの縄文時代の気風というのがマッチするように思えます。

 渚駅から北へ400m国道を進むと、左手に道の駅「なぎさ」があります。ここは農産物販売所にもなっていて、8kmほど北にある久々野の人が当番で経営している店があります。

PICT0001.JPG

 ここに、変な櫓があります。今まで何なのか疑問を持っていましたが、調べもせず、単なる見世物と思っていました。ところが、ネットでそれを調べると、これは縄文の櫓を復元したものとありました。道の駅から8km北にある久々野には、堂之(どうのそら)遺跡があります。それを象徴するためにこの櫓は作られたものです。もちろん、櫓自身は新しいものです。しかし、遺跡は古いもので、その発掘にはかなり時間がかかり、縄文中期の遺跡とわかったと書かれています(http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/dounosora.html)。その時代の地形は、ここが飛騨川を望む高台にあったと想像されます。この地は現在でも高台にあり、縄文時代から今まで大きな地形変化がないとして、現在の地形から延長して考えると、当時、高台の快適な居住場所であったことでしょう。この歴史ある場所を訪れる人は数少なく、静かな環境にあります。もし教科書に出てこない壮大な縄文(飛騨)文化の片鱗を感じたいと思われるなら、高台の上に立ち、変わらない地形と文化のゆっくりとした流れを感じる旅にお立ち寄りください。そこには目に付くものは何もありません。モノを越えた地形が想像の古代を描くには十分です。

川は地に線を与え、それに沿って人は道を作り、何百年もかかって文化を運ぶ

                                    (私の実の文化より)
タグ:歴史

木曽三川 [形と雰囲気]

木曽三川

mPICT0106.jpg
向こうに見える鉄橋が国道1号線です。 左に見える丸屋根のようなものは長良川河口堰です。 右は揖斐川、左は長良川です。

PICT0109.JPG
道路の右手、手前は桑名市街地、奥は四日市市が見られる。

PICT0108.JPG
道路の左手には長良川河口堰が見られる。

 濃尾平野を流れる三つの大川は西から揖斐川長良川木曽川です。

 ここで地図を見ますと、三川すべて伊勢湾へと流れますが、河口近く見ると長良川は揖斐川と合流し、揖斐川として湾へ流れています。ではそのちょっと北側を見て見ますと、長良川はほとんど木曽川と合流しているように見えます。しかし、両川は背割堤(せわりてい)によって分離されていて、交わりません。





 この背割堤は、元々江戸時代に御手伝普請という名の下で、外様大名である薩摩藩を疲弊さすため、幕府が策略した土木工事依頼でした。しかし、治水対策としては当時は重要なものでした。この後、時代が下って、明治時代に、外国人技師らに背割堤は改修され、三川の治水工事がなされ、今に近い形で伊勢湾へ注いでいます。

 背割堤として他にも知られている、桂川、宇治川と木津(きづ)川の合流点である八幡(やわた、京都の南)にあります。この堤には桜が植えてあります。おそらく、大工事の後、出来上がった堤に植えられたものであろうと思います。日本の多く土木工事が終わった後、特に堤の場合、桜が植えられます。この習慣(?)は、古人の労力と犠牲に感謝する気持ちの表れなのでしょう。しかし、この気持ちを年一度の桜の開花によって、感謝祭をするようにも考えられます。

 さて、長良川と揖斐川の背割堤は1号線とのT字路で終了しています。それより先は管理道路となって通行できないようになっています。すなわち、長良川を南下すると伊勢湾まで行けるのかという河口の旅は、国道1号線(東海道)と出会って終わりになります。そこは三重県です。岐阜県はその北である海津(かいづ)町油島(あぶらじま)の先の宝暦治水碑までです。結局、岐阜県南端は伊勢湾まで15kmのところです。当たり前のことですが、岐阜県は海には面していません。

 それでも、古くは海上交通でお互いに結び合わされ、さらに内陸部の岐阜へ容易に入れたことでしょう。ところが、今は長良川河口堰によって、船も魚も人工的に隔離されて、内陸部の孤立化を促進しています。また、三重県と愛知県の間には一般道2本、高速道路2本と鉄道1本の合計5本の橋によって結ばれています。

思うに、東海道の文化交流の要衝は三川にあり、人の行き来が物資、文化を運んできます。三川をドライブして地形と文化は関係している場合もありますが、地形を乗り越える知恵もあることを知りました。結びの言葉として、

文化は橋と川によって結ばれる


タグ: 木曽三川

ミント [薬草]

ミント

1. テルピノールはミントに多く含まれ、歯磨き粉、チョコレート、口臭防止剤、湿布薬など様々なところに利用されています。ミントには600種類ありますが、日本では「和薄荷(わはっか)」として古くから知られているものがあります。
ミントの総説が本で出版されていますが、値段が高く手することが出来そうもありません。
【文献1】  Brian M. Lawrence, "Mint : The Genus Mentha (Medicinal and Aromatic Plants - Industrial Profiles)," (2006/12/13),CRC Press, ISBN: 9780849307799. $129.95

2. ミントの文献を調べると、今から100年余り前に遡ることができます。しっかりとした構造を提案しているのは1948年のP. Z. Bedoukianの仕事があります。当時、活躍した装置は旋光計です。この名前は難しい装置に聞こえますが、果物の甘さを計る糖度計と同じようなものです。論文の緒論のところに示されているところでは、1904年にCharabotが花頭から取ったオイルの旋光度は+19°を示すけれども、植物全体からのものは-19~-22°であったことを報告しています。そこで、Bedoukianは、この原因は、Menthoneの酸化によってメントフランが生成するためであることを明らかにしました。実験操作中に酸化反応は良く起こるものです。化学者は得た結果が元のもの(この場合本来の成分)を反映しているか絶えずチェックします。ミントオイルの抽出操作はそれ以降色々工夫されてきています。
【文献2】 P. Z. Bedoukian, J. Am. Chem. Soc., 70, 621-622 (1948).

少し変なことに気づきました。それは、ミントティーの飲むと便通が良くなることです。ネットで調べると、リラックスすると副交感神経が働き、腸の蠕動運動が活発になると書かれています。では、便秘の人はどんどん飲むと良いと思いますが、慢性化する可能性があるという報告もありますので程度ものです。なお、余分なことですが、Twiningのハーブティーは一袋30円ほどしますが、ドイツ製のものは20円弱です。勿論、庭で育てるとミントは繁殖力が強く、葉や茎を採っても根で拡がります。しかも無料です。

3. ミントの重金属捕捉能力があることは知られていますが、土の中のクロムイオンについて最近調べられた結果は根には茎や葉よりも多く捕捉される事が分かりました。
【文献3】 Slavica Razic, Svetlana Ðogo, Chemosphere, 78, 451–456 (2010).
なお、ミントの成分は抽出法によって多少異なりますが、多い成分はテルピネオール(63%)です。抽出方法による大差はないので、通常の水蒸気蒸留が簡便であると言うことも示されました。
  β-Phellandrene 3.4 
  Menthofuran 10.6 
  Menthol 4.7 
  4-Terpineol 63.3 
  Neomenthyl acetate 4.8 
しかし、別の論文ではL-menthone(37%)とL-menthol(31%)となっています。超臨界CO2を用いた抽出ではSqualeneが多いことも示されました。
【文献3’】 Z. Zekovic, Ž. Lepojevic, S. Milic, D. Adamovic I. Mujic, J. Serb. Chem. Soc., 74, 417–425 (2009).

4. マウスを使った実験ですが、γ線照射による損傷をミント抽出物は防ぐことが報告され、抗酸化活性と何らかの相関があると指摘しています。
【文献4】 R. M. Samarth, M. Samarth, Basic Clin. Pharmacol. Toxicol., 104, 329–334 (2009).

5. 先に示したドイツのミントは良く調べられています。ドイツ語で書かれてはいるが文献もありました。
【文献5】 R. Schmatz, C. Schäkel, C. Dick, Gesunde Pflanzen, 61, 1–10 (2009).

6. ミントには抗菌活性があることは知られています。ペパーミントよりスペアミントの方が殺菌能力が高いと報じられていました。両者の成分の違いはペパーミントではメントール、メントンが多いのに対して、スペアミントでは、Limonin, Carvoneが多く含まれていることが対照的です。調べられた菌はプロテウス菌、サルモネラ菌、大腸菌でした。面白いことに、高沸点のポリフェノールを含む場合には単独の低沸点(揮発しやすい)成分だけよりも効果が高い。ある種の相乗効果(シナジー効果)を示すことを明確にしました。
【文献6】 Y. A. H. Osman, E. M. Yaseen, M. M. Farag, J. Appl. Sci. Res., 5, 1265-1276 (2009).
【文献6’】 S.F. van Vuuren, S. Suliman, A.M. Viljoen, Lett. Appl. Microbiol., 48, 440–446 (2009).

7. 最後に、エジプトの野牛のシラミ繁殖防止にミント抽出物が有効に働くことが示されました。試験管内の実験では、シラミの半減濃度は12.35%(濃度)であり、7.3%濃度での半減時間は15.39分でした。しかし、生体では、0.5-2分でシラミを除くことが出来ました。よく知られているシラミ駆除剤のd-フェノトリンでは120分要したと述べています。この報告が他の動物、特に家畜に対して有効であるかは書かれていませんでした。
【文献7】 H. F. Khater, M. Y. Ramadan, R. S. El-Madawy, Vet. Parasitol., 164, 257–266 (2009).


PICT0038.JPG

ジョウビタキ [野鳥]

ジョウビタキでした

この鳥はなぜか人懐っこい。
磨墨(するすみ)は岐阜県郡上八幡にある。磨墨の里という道の駅で野鳥を見つけた。
河原へ階段を下りるところで足元の1mほど横に来て、写真を撮る間、こちらを見たりしている。
図鑑で調べたところジョウビタキのメスらしい。

http://nyacyouen.web.fc2.com/jyoubitaki02.htm

PICT0058.JPGPICT0060.JPG

銀杏(ギンナン) [農作物]

銀杏

091022
全国生産の3割を占める愛知県稲沢市祖父江町の銀杏は栽培品種であるが、
元々この地のものを接木して、良く手入れしたものである。
畑では背の低い(採集しやすいように剪定してある)イチョウが植えてある。

sPICT0020.jpgsPICT0027.jpgsPICT0037.jpg

祖父江町の一軒の農家で、たまたま均一に干すために、
路上の敷物の上にある銀杏を手で返しておられたところに出会った。
お話を伺い、立派な銀杏を500gずつ分けていただいた。
久寿と喜平であった。伺ったところ、次のような栽培品種名が付いている。
大粒晩生の藤九郎、大粒中生の久寿(久治)、大粒早生の喜平、中粒早生の金兵衛、中粒中生の栄神

取れた実は果肉をとるため、ジューサーのようなもので果肉を取り、
水で洗浄して後、2時間ほど天日で干す。
このときに均一に乾燥するためにネットの上で手で撫でるように返す。
農家の人の手は黒くなっていた。周囲は酪酸の臭いがしていた。

ジューサーの装置
sPICT0047.jpg

果肉の部分は廃棄するが、臭いがするので畑に戻すとのことでした。
sPICT0046.jpg

sPICT0040.jpgsPICT0042.jpg

銀杏の殻を割るには、電子レンジを使うと簡単であると読んだ。大きな封筒で少し量を減らして入れ、折りたたみ封をしてから、1分強、電子レンジする。出来上がったものは、割れているものもあるが、殻を取ると薄皮まで取れる。

農家の人に教えてもらったのは、フライパンに塩を少々入れ、ふたをして炒ると良い。
また、薄皮は塩水で軽く揉むと取れる。

さらに、教えていただいた銀杏ご飯は銀杏のもっちり感が米にも出てきたようになり、オコワのような食感であった。
これも教えていただいたとおりであった。

農家の人の知恵と顔の艶の良さを見ていると、元気が出てくる。
自然の恩恵と生活の知恵をいただき、感謝、感謝の一日でした。

イチョウの化学生態のMyブログもご参考下さい。
http://kz--t2.blog.so-net.ne.jp/2009-08-27

タグ:銀杏
nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

認識 [形と言葉]

桜の答えです。

1.山高の神代桜
3102174


2.素桜神社の神代桜
3102175


3.中曽根の権兵衛桜
3102176


4.臥龍桜
3102177


5.揖斐の二度桜
3102178


6.荘川桜
3102179

ああ、わかった。

桜の全体が分かるとどの桜がどこの桜と認識できる。
できないものがあれば、名前と一緒に現れれば分かる。
ということは我々は形と言葉で認識している。
それを知識として持っているに過ぎない。
場合によっては何となく雰囲気として持っているに過ぎない。

しかし、こんなのでは、形の上のお話で終わってしまう。 元を辿りましょう。

花を見ると花弁や密集性、花の咲く向き、それぞれ特色があります。
根や幹を見てください。根の張り方、瘤の出方、数、大きさ、
どれをとっても指紋領域があります。
それぞれの独自性があります。

さらに、千年も樹齢の桜が周囲の環境に依存して生きています。
斜面だったり、お墓の近くだったり、近くに田圃があったりします。
環境が長寿を育てます。
長寿であれば木の精を感じます。

~蛇足~
桜を以って、の精に畏怖を見る。 況や(いわんや)人間のの精をや。 (けがわらしい、不埒なオヤジギャグで失礼) PS 気の所為と思っていただいても …にしません

PICT0174.JPG
タグ:環境

詩の認識 [否定、ネガティブの後]

「小諸なる古城のほとり」
これは有名な島崎藤村の詩である。

否定の文と「わずか」などネガティブ用語で全体を通す。
結論は、酒を飲んで休んでいる。

藤村自身、悲観的なものの見方をしていないのに、
否定とネガティブの中に、「わずかある」と希望を抱かせるところに、
この詩を読んだ昔には、苛立ちとセンチメンタルの拒否をもった。
再読すると、今は、落語の巧みな話芸を聞いているようである。

現実の姿は厳しい。といっても、詩を吟じる心と懐の余裕がある点で
論理的な矛盾を見出したり、何を強く望んでいるのか、それを言わない。
それが長野県(岐阜県)人の奥ゆかしさであろうか?

馬籠を歩いて、藤村の時代の景色を想像する。
綺麗なものではない。作者の仮想の世界である。

それなら、同じ技法で、その時、その場所に、自分を置いて、
第三者となって、自分を含む景色を表現しよう。

すなわち、想像している自分を想像してみよう。
自分の中の太陽に気付くであろう。

PICT0062.JPG

--------------------------<

「小諸なる古城のほとり」  -落梅集より-
                             島崎藤村

小諸なる古城のほとり          雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず          若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど          野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて           麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか           畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず          歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよう波の           岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて       草枕しばし慰む




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。