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道の駅なぎさ [歴史]

なぎさ

 飛騨の山の中にというJRの駅があります。もちろんどこにも海は見当たりません。駅は高山本線の飛騨小坂と久々野(くぐの)の間の無人駅です。駅の位置は飛騨川と国道41号線(益田街道)にはさまれた狭い場所です。駅周辺の民家は少ないのですが、古き良き時代の匂いがあります。

 この駅に興味を持ったのは、山の中に渚という名前があることと、国鉄時代に文化を運んだ生き証人を見るように感じる環境があるからです。北に高山、南に下呂という観光地がありますが、その間であるは観光と縁遠い状態で、昔のままで保存されています。

 さて、渚について調べて見ますと(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9A)、「なぎさ」という漢字は渚・汀・沚と書かれますが、多くは海岸の水際をいったものです。ところが、内陸部でも「なぎさ」という言葉が使われています。それは「湖」の渚の意味です。例えば松本市の渚琵琶湖のなぎさ公園枚方市の渚があります。飛騨のには川しかありません。推測するに、古くは蛇行した川が湖を作っていたのでしょう。それほどまでして、海に因んだ名前をつけるということを不思議に思われますが、内陸部の人にとっては、山で閉ざされた地域に住んでいるわけですから、海への憧れがどこかにあるとも考えられます。そこで、手近な湖の岸を渚といったのでしょう。この表現に魅力を覚えます。当たり前のことですが、飛騨、信州、上州の文化はゆっくりとした熟成されてきたのでしょう。それに対して、往来の激しい海上交通地域の文化は交流が盛んなため動物的に変化します。飛騨の文化は重厚で植物的です。その地は古くの縄文時代の気風というのがマッチするように思えます。

 渚駅から北へ400m国道を進むと、左手に道の駅「なぎさ」があります。ここは農産物販売所にもなっていて、8kmほど北にある久々野の人が当番で経営している店があります。

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 ここに、変な櫓があります。今まで何なのか疑問を持っていましたが、調べもせず、単なる見世物と思っていました。ところが、ネットでそれを調べると、これは縄文の櫓を復元したものとありました。道の駅から8km北にある久々野には、堂之(どうのそら)遺跡があります。それを象徴するためにこの櫓は作られたものです。もちろん、櫓自身は新しいものです。しかし、遺跡は古いもので、その発掘にはかなり時間がかかり、縄文中期の遺跡とわかったと書かれています(http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/dounosora.html)。その時代の地形は、ここが飛騨川を望む高台にあったと想像されます。この地は現在でも高台にあり、縄文時代から今まで大きな地形変化がないとして、現在の地形から延長して考えると、当時、高台の快適な居住場所であったことでしょう。この歴史ある場所を訪れる人は数少なく、静かな環境にあります。もし教科書に出てこない壮大な縄文(飛騨)文化の片鱗を感じたいと思われるなら、高台の上に立ち、変わらない地形と文化のゆっくりとした流れを感じる旅にお立ち寄りください。そこには目に付くものは何もありません。モノを越えた地形が想像の古代を描くには十分です。

川は地に線を与え、それに沿って人は道を作り、何百年もかかって文化を運ぶ

                                    (私の実の文化より)
タグ:歴史

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